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【体験談】真夏の日本縦断 マラソン。アラサーが2920kmの距離に挑む。

  • 2019年2月18日
  • 2019年9月29日
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のら
2018年の6月、10年勤めた都内の会社を辞めました。

そして、会社を辞めた2日後に走って日本縦断に出発。
 

アラサーが真夏に駆け抜けた2920kmの記録 。

63日に及ぶ激走の中から印象に残っている7つのエピソードを
紹介します。

 

日本縦断に使った靴

目次

【日本縦断RUN 20日目 ”北海道 思い出の宿 ビジネスホテルきたぐに”】

北海道に向かうフェリーの上から

北海道、初日に泊まったのが函館にある”ビジネスホテルきたぐに”。 ビジネスホテルというより簡易宿泊所みたいな感じだった。そのホテルに泊まった時の話。

おねえ口調のフロントの男

6/23に東京を出発して20日目、ついに北海道の地を踏んだ。

日本なんだけど日本じゃないような不思議な感覚。異国の地に来たような変な感じ。これが北海道か。なんか緊張してきた。

昔の人は、何もない北の大地を1から開拓したんだよな~。開拓者精神か。どんな気持ちだったんだろう。 そんなことを考えながら北海道をスタート。

この日の夕飯はマクドナルドに寄ってハンバーガーを10個テイクアウトで買った。

夕飯を調達してから、グーグルマップを見ながらホテルの場所まで行ったが、そこには別の建物があった。

「おかしいな~。とりあえず電話して聞いてみるか。」 ホテルに電話してみると、若い感じの男の人が出て、ホテルまでの道を丁寧に教えてくれた。話し方がとても丁寧で好印象。

そこから少し歩いて、この日の宿である”ビジネスホテルきたぐに”に着いた。 まず、フロントで受け付けを済ませてホテルの説明を受けたのだが、対応をしてくれた男性の話し方が”おねえ口調”だったのが気になった。けっこうイケメンだったので少しギャップを感じた。

 

北国(きたぐに)という言葉を聞くと、なんか寂しい感じがするのだけど この”ビジネスホテルきたぐに”もまさにそんな印象だった。

 

ホテルというより宿泊所という言葉の方がしっくりくる感じで、泊まっていたのも、工事現場の作業員っぽい人しかいなかったし、観光で来た人が泊まるような感じではなかった。 当然若いカップルも似合わない。けど、彼女に内緒でここに連れてったら逆に面白いかも。

 

部屋に入ってみると、ベッド、テレビ、テーブル、扇風機があった。お世辞にもきれいとは言えないけど、寝るだけなら何も問題はない。エアコンはないけど扇風機があるし、北海道の夏は涼しいので問題なし。

 

荷物を置いて汗を流すために風呂にいってみると、脱衣所に2人ぐらいしか入れないサウナがあった。ドアには「故障中」の張り紙が貼ってあった。

 

湯舟につかってゆっくりしていると、目の前の壁に何かが書かれているのに気が付いた。”最後の人は風呂のフタをしてください。” ふむふむ。なるほど。

 

さっぱりしてから部屋に戻り、買っておいたハンバーガーを食べて、明日の準備をして就寝。 こうして初めての北海道の夜が終わった。

 

“ビジネスホテルきたぐに”を勝手にまとめてみた

  • 最寄り駅 五稜郭駅
  • 1泊3,000円
  • 建物はけっこう年季が入っている
  • フロントのお兄さんがおねえ口調
  • 宿泊客が作業員っぽ人が多い
  • 風呂のフタ締あり
  • 狭すぎるサウナあり
  • 部屋にエアコンないが、扇風機あり
  • 名前負け感ややあり

悪くはないです。

 

【日本縦断RUN 29日目 ”徹夜明けに待っていたのは、地平線までつづく真っすぐな道”】

限界を超えて寝ながら歩いた夜

7月21日、北海道の留萌という小さな港町を出発。

小さな港町、留萌(るもい)

昼ぐらいに43km進んだ所にあった町の温泉施設”とままえ温泉ふわっと”で休憩。

風呂に入ってから、休憩所で仮眠をとって夜10時に再スタート。

この日の目的地”天塩(てしお)”までは、まだ68kmある。

小雨が降る中走っていると、セブンイレブンがあった。日本最北のセブンらしい。

日本最北のセブンイレブン

休憩をとり、また走り始める。もくもくと走る、そして歩く、また走る。

 

仮眠をとったとはいえ、2~3時間うとうとしていただけだったので、大して疲れはとれておらず 睡魔が襲ってきた。寝たいが雨が降る中休める場所はない。 走りつづける気力もなく、我慢して歩き続ける。

 

途中、バス停があったので休もうと思い、ドアを開けて中に入ろうとしたら、その瞬間 思い切り顔面に蜘蛛の巣がへばりついた。

 

最悪だ。

 

蜘蛛の巣を払いのけ、埃だらけの椅子に腰かける。どうやら長い間使われていないようだ。 ライトで周りを照らすと小屋の隅は蜘蛛の巣だらけだった。 こんなとこで寝れるのか?でも少しでも寝た方がいい。

 

椅子に腰かけた状態で、ひざに手をつき前かがみになって目を閉じてみた。

 

・・・寝れん

 

しばらくその状態で寝ようと試みたが、寝ることはできなかった。

 

行くしかないか

 

しかたなくバス停を出て歩きだすが、すぐに睡魔がやってくる。 2~3秒目を閉じては開けを繰り返しなんとか歩き続けるが、限界だ。

 

縁石につまづいてこけそうになって目を覚ました。 意識が飛んだまま歩いていたことに気づく。寝ながら歩いたのはこれで2回目。1回目は北アルプス登山の下山中だった。

 

人間は寝ながら歩くことができる。

 

意識を飛ばしながら歩いていたら、途中で違和感を感じた。 何かがおかしい・・・。

 

腕時計で方角を調べると、来た道を引き返していた。 う~む。どうやら寝ながら歩いているうちに、いつの間にか方向転換していたらしい。

 

次に気が付くと道路の真ん中を歩ていた。 あぶねーよ。対向車来てたらあぶねーよ。 一瞬で眠気が飛ぶ。

 

人生史上最高の道

そして歩き続け、朝を迎えた。目の前には海が広がっていた。

徹夜明けに見た海、奥にはうっすら利尻山が浮かぶ

徹夜明けに待っていたのは、地平線までつづくひたすら真っすぐな道。

 

7月22日、今回の日本縦断の旅において、最も印象に残る道に出会う。

 

北海道の西の海岸沿いに南北に走る道。その名も”オロロンライン”国道232号線。

 

どんな道かというと、

前を見ると、地平線まで真っすぐ

後ろを見ると、地平線まで真っすぐ

右を見ると、緑の大地

左を見ると青い海、海の向こうには利尻山が浮かんでいる

見上げれば青い空

視界をさえぎるものはない

目の前にあるのは、圧倒的な空間と圧倒的な広がり

心を奪われるとはこのことか。

周りには誰もいない

車やバイクがたまに通るだけ

あとは自転車旅の人が1人追い越していった。

徹夜明けの疲労も、眠気もどうでもよかった。

時間が止まってほしかった。

ずっとこの道を歩いていたいと思った。

ひたすらまっすぐ

 

【日本縦断RUN 32日目 ”出会いの意味を考える。この出会いは偶然か必然か”】

北海道、最後は96kmを踏破。

7/23朝、北海道の天塩(てしお)を出発。
稚内を経由して、日付が変わった7/24深夜1時過ぎに”日本最北端の地”宗谷岬に着いた。

 

途中、稚内で1泊するか迷ったが稚内から宗谷岬まで30kmぐらいしかなかったので 一気に宗谷岬までいってしまうことにした。

 

奥に稚内の町が見える

スタートした頃に比べてだいぶ体力がついてきたことを実感する。

 

80kmぐらいまではほとんど歩かずこれたし、北海道の涼しさも手伝って順調に 距離を重ねることができた。

 

80km過ぎたぐらいから、疲労と肩の痛み(走っていると肩とザックがこすれる為)がひどくなってきたので 残りはほとんど歩いた。

 

なんとか日付が変わる前に着きたかったが、走る気力はなく日付が変わった深夜1時過ぎに宗谷岬についた。

 

深夜の宗谷岬は寒かった

”日本最北端の地”と書かれた石碑と周りの写真を撮る。

 

東京から日本の最北端まで合計1424kmを自分の足で踏破したわけだが、感動にひたる余裕はなかった。

 

到着した余韻に浸りたかったが、とにかく寒かった。

 

大学浪人中にヒッチハイクで日本を回っている青年

休めるところを探していたら、バスの待合所が開いていたので中のベンチで 朝まで休むことにした。

 

中には1人若い男性がいて、横になって休んでいた。 身なりはあまりきれいな感じではなかった。

 

ここまで来る途中に自転車旅の人を何人か見ていたので、この人も自転車旅だろうか。

 

彼はこちらの音に驚いて一瞬起き上がったが、すぐに横になった。声をかけるか迷ったが、休んでいたのでやめた。

 

寒かったのでザックの中の服をすべて着たが、それでもまだ寒かった。しょうがない。そのままザックを枕にして我慢して寝た。

 

朝になって彼とお互いのことをいろいろ話した。彼は18歳の青年だった。

 

青年のことを説明すると、

 

  • 大学浪人中
  • ヒッチハイクで日本を回っている
  • 茨城の実家を出発して、関西に行ったが暑くて北海道に逃げてきた
  • 途中で旅の資金が無くなって、北海道の牧場かどこかで働いた
  • 学生時代部活で陸上の短距離をやっていた
  • イギリスに行きたい
  • 顔はゴルフプレイヤーの石川遼似

 

話が落ち着くと、青年が缶コーヒーをくれた。ヒッチハイク中にトラックの運転手からもらったものが、たくさんあるらしかった。

 

そのあと「よかったら写真撮りますか?」と言われたので、”日本最北の地”の石碑の前で撮ってもらった。

 

その写真がこれ。

ヒッチハイクの青年に撮ってもらった

写真を撮り終えると、寒かったのですぐにバス停に戻った。

 

バスの始発までは、まだ時間があったので話の続きをしたのだが、そこで驚くべき事実が判明した。

 

”苗字が同じで、お互い学生時代に陸上の短距離をやっていた”という共通点がわかった。

 

そんな2人が同じぐらいの時期に出発して、一方はヒッチハイクで、片方は走って日本を回り、同じ日にしかも3時間差で、日本最北端の地に着いた。彼は夜10時に着いて、おれは日付が変わった深夜1時に着いた。

 

話をしていてもなんかフィーリングが合う。

 

この出会いは偶然なのだろうか?何か意味があるのだろうか?

 

Twitterで奇跡を起こす?

・・・時は流れ、2019年1月におれは世間からだいぶ遅れてTwitterを始めた。

 

そしてある日、思いついた。

 

あの出会いに何か意味があるのなら、奇跡が起きるはず。

おれには確信があった。

 

そして覚えたてのTwitterで、つぶやいた。

 

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【奇跡は起きるシリーズ】

この青年に心当たりがある方は連絡ください。

  • 2018年7月23日北海道宗谷岬にいた
  • 苗字、アイザワ
  • 年齢18か19
  • 茨城出身
  • 大学浪人中
  • ヒッチハイクでで日本を回っている
  • イギリスにいきたい
  • 学生時代陸上部

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・・・反応なし。

 

【日本縦断RUN ”北海道を振り返る”】

北海道の振り返って、思い浮かぶことを書いてみる。

 

初めて北海道の地に立った時の、変な緊張感。日本なのに日本じゃないような不思議な感覚。

 

初日に泊まった”ビジネスホテルきたぐに”

 

道路の真ん中で死んでいた狸。それを拾って道路わきに置いた。死んだ狸の体がカチカチに硬かった。死を考えた。ぐちゃぐちゃになって死んでいた狐。

 

深夜の自販機の前にいた狐の親子。こちらの存在に気づいて、警戒しながら「わんっ!」と吠えて草むらに消えていった。

 

暗闇の中、そこだけぽっかりと明るかった踏切。

 

誰もいない真っ暗な夜の道、怖さを紛らわすために、YouTubeで”深夜特急”を聞きながら歩いた。

 

強烈な眠気と闘いながら、寝ながら歩いたあの夜。

 

徹夜明けにみた海。小さな港町の静かな海。

 

どこまでもつづく道。誰もいない道。月明りも星の明かりも届かない真っ暗な道。雨にぬれた道。

 

今あの道をだれが歩いているのだろう。

 

【日本縦断RUN 51日目 ”西日本豪雨の爪痕 広島”】

道なき道をいく

2018/8/12 広島県尾道~広島県東広島 49km

 

お盆ということで、田舎に帰省する車の渋滞や、親戚が集まっているとことかを横目に見ながら この日もグーグルマップを見ながら走っていたのだが、まさか道がないとは・・・。

 

このぐらいは大丈夫

 

 

なんとか端を通れば・・・。

 

 

どう攻める・・・?

 

 

ババーーーン!!!

 

 

引き返すわけにも行かず強引に突破。

 

特に4枚目の写真の状況が目の前に広がったときは、どうやって進もうかしばらく考えたが、強引に進む以外になかった。 通行止めっぽかったけどしょうがない。今更引き返すわけにもいかず。

 

泥だらけになってしまったが、少し行くと運よく道路わきの山の斜面から水が流れ出ていた。 たぶん山が崩れた影響で川の水がこっちに流れてきたのだろう。 泥だらけになった体やTシャツ、靴下、靴を洗ってすっきり再スタート。宿に着く前に汚れを落とせてよかった。

 

うますぎる日本酒、広島県西条のユースホステル

この日泊まったのは”広島西条駅前ユースホステル ”

 

この日の宿泊客は、災害ボランティアの人が2人とおれの3人だった。 宿の主人は、元高校野球の審判で若い時ニュージーランドを旅していたらしい。 山好きとしてはニュージーランドの自然も魅力的。いつか行きたい。 また、この辺は日本酒造りも盛んらしく、おすすめの日本酒を味見させてもらった。 うまし。

 

西日本豪雨の復旧に関しては、この日の前日に泊まったゲストハウスの人の話では、主要な道路から優先して工事が進むので田舎の方はまだまだ進んでいないらしい。

 

うーむ。

【日本縦断RUN 59日目 ”2人だけの村、熊本県 五木村”】

奥に見えるのが五木村。たしか・・。

図書館で偶然手にとった本

この日の予定は熊本駅前~熊本県五木村 65km

 

五木村を知ったのは北海道の留萌(るもい)という海沿いの町で偶然寄った図書館だった。 本のタイトルは忘れたが、内容は確かこんな感じだった。 あと、薄い本だったのですぐ読めた。

 

”五木村は何年か前にダム建設の計画があって、それに伴い工事が始まった。

村の住人は、みんな出て行ってしまったのだが2人の老夫婦だけが残った。

村には大きな銀杏の木があり、季節が来るとたくさんの実を落とした。

ずっと村を見守ってきた銀杏の木。

2人が最後まで村に残った理由もこの銀杏の木があったから。

村の象徴でもあり、また子供のころから一緒に過ごしてきたその木と最後まで 一緒にいたいという思い。

しかし工事が進む中で、その銀杏の木は切られてしまう。

大きな切り株だけが残った。

それでも2人は毎日その銀杏の木の世話を続けた。

やがて切り株から小さな芽が出た。

そして奇跡が起きる。

ダム建設の計画がなくなったのだ”

 

確かこんな内容の本だった。

 

北海道の図書館で読んだこの本に出てくる五木村がこの日の目的地。 山の上の村のため、きつい道のりになりそうだ。 何がきついかというと、田舎のしかも山道を通るためコンビニがない。 真夏のため水分が切れるのだけはまずい。


1度だけ三重県を走っていた時に水分を切らして、頭が熱くなった時があった。


熱中症になったことがないので分からないが、たぶん熱中症の症状だろう。

 

というわけで山に入る前の最後のコンビニで水分を2リットルと食料を買い込む。

 

水分がたくさんあることに越したことはないのだけれど、そうすると その分ザックが重くなるので、体力を消耗してしまう。 田舎の方でもけっこう自販機はあるけど、この日はどうだろうか。

 

きれいすぎて思わず笑ってしまった川

途中に流れていた川がキレイすぎて笑ってしまった。 ブルーのようなグリーンのような、とにかく見てほしい。この辺の川は水質が日本一らしい。

 

 

 

そんな景色を見つつも だんだんと傾斜がきつくなる。根性で走る。 しかしペースは遅い。それでも走る。こういう瞬間がけっこう気持ち良かったりもする。 坂をひたすら登るため、想像以上に水分の減りが速い。

 

 

 

 

しばらく行くと有難いことに、道路脇の山の斜面から水が流れているのを見つけた。 車で走っていたら絶対気づかない。空のペットボトルに入れてぐびぐび飲む。

傷だらけの猫

またしばらくいくと、猫の鳴き声がした。声のする方を見たら1匹の猫がいた。

 

 

 

その猫は体中に小さな傷があった。近くにはお皿が何枚か置いてあって 餌が置いてあったっぽい形跡があった。


人に慣れているということは捨て猫だろうか。 ミャーミャー鳴いて離れないので、水をあげてみたが飲まなかった。

お腹が空いているのだろうか。


このまま離れるのもかわいそうなので、ザックに入っていたどら焼きを半分あげて残りは自分で食べた。


買っておいたおにぎりはすでに食べてしまっていたので、大事にとって おいたのだけれどしょうがない。猫とどら焼きはセットなのだから。

 

少しだけ付いてきたけど、猫はその場に残った。達者で暮らせ。

 

食料はなくなったが水分はさっき補充できたのでなんとかなるだろう。

 

それにしても空が青い。空が青いだけでも救われる。くそ暑いが。 それにしても今年の夏は全く雨が降らない。

 

空中に浮かぶ村、五木村

そんなこんなでついに五木村についた。写真奥が五木村。

 

 

 

実は五木村に来るかホントは迷ってた。道のりがハードだし この真夏に水分切れたらアウトだから。

 

でもおれはやったよ。「自分に勝った・・」 にやにやしながら、声に出して何度も言ってしまった。

 

五木村の感想は、ズバリ・・空中の村? う~む・・うまい表現が出てこない。村の下に川が流れてるのだけれど ものすごく下に流れてる。

 

村に架かってる橋からその川に向かって バンジージャンプができるくらい。ていうかホントにバンジーできる。

 

その日はスナック兼民宿みたいなとこで泊まった。名前は”ふるさと五木”。 少し村をぶらぶらしてから近くの温泉施設に行ったのだが、帰りに見た星空がきれいすぎて しばらく見上げていた。

 

気になってた例の銀杏の木は結局見なかった。 だってそこから10キロぐらい離れてたから。しかも進行方向とは逆。

 

また来るよ、五木村。あの猫も元気だと嬉しい。

 

ちなみに五木村は普通に人住んでた。

 

【日本縦断RUN 63日目 ”人生で1番熱かった夏の終わり 鹿児島県佐多岬”】

 

 

2018年8月24日。鹿児島県鹿屋市の温泉旅館”ホテル太平温泉”をまだ薄暗い早朝に出発した。

 

日本縦断のゴールである”佐多岬”までは57km。 東京を出発してここまでの走行距離は2863km。長かった道のりも、残すは57kmのみ。

 

2か月間ほぼ毎日繰り返してことを、同じように今日も繰り返すだけ。


グーグルマップで道を確認しながら走る。コンビニやスーパーがあったら、おにぎりと水分補給をする。

 

今までと違うのは、今日でこの生活が終わるということ。

 

途中のスーパーで、バイク旅の人と会話。道の駅で自転車旅の人を見かけた。

 

それはともかく、とにかく汗の量がハンパじゃない。いつものことだが、しぼってもしぼってもすぐに全身がびしょ濡れになる。我慢できなくてパンツまで脱いでしぼってしまった。

出会いは突然に。その人の名は”内山さん”

そんな感じで、汗でびしょ濡れになりながら走っていたら前から車が走ってきて、おれの横で止まった。

 

 

何だろう?と思って立ち止まると、

 

運転手のおじさん「○○さんですか?」

おれ「はい」

運転手のおじさん「昨日電話で予約してもらった民宿をやってる内山です」

おれ「あ、はい。どうしたんですか?」

内山さん「うちのおふくろが病院に入院してるんですけど、さっき病院から電話があってこれから行かないといけないんですよ。なんか危ないみたいで。なので先に民宿行ってやっててもらえますか?鍵空いてるんで。」

おれ「え・・あ・はい、わかりました・・」

 

最悪亡くなったらどうなるんだろう。でもとりあえず、おれは行くしかない。

 

走ってるときに、何か起きないかと期待していた。前半戦のゴールの宗谷岬で、偶然にも同じ苗字の青年に会うという出来事があったので、最終日の今日も何か起きないかと期待していたら、こんなことが起こってしまった。

が、とりあえず佐多岬に向かおう。

 

やがて下り坂の向こうに海が見えてきた。

 

 

 

 

佐多岬までもう少し。しばらく行くと、最後はだらだらした上り坂がつづいていた。道路の両脇には南国にあるような背の高い木が生えていた。

 

 

 

 

旅の終わり。2920kmを駆け抜けた先にみたもの。

最後の気力を振り絞って坂を走りつづける。


あのカーブを曲がったら・・あのカーブを曲がったら・・・を何回か繰り返す。


そして何個目かのカーブを抜けると、視線の先に石碑が見えた。

 

 

 

 

 

 

本土最南端からみた空は、少し曇っていて、

 

 

 

静かな海が広がっていた。


しばらく眺めていると雲が切れて、夕日に照らされたやさしい海が広がった。

 

 

 

 

2か月に及ぶ旅が終わった。

 

しばらく海を眺めてから、民宿に向かった。


民宿に着くと、ちょうど内山さんも病院から戻ってきた。

 

 

お母さんは大丈夫とのことだった。ひと安心。

 

民宿の中の壁には、たくさんの可愛らしい手書きの案内が貼ってあった。

 

 

内山さんの子供が小さいころに書いたものらしい。

 

そうそう、佐多岬に着いたときの感想はというと、なんというか、あっけなかったという感じだった。


あれ?着いちゃった。みたいな。


それと同時に、たった2か月前に東京を出発した日が、すごく昔に感じた。

 

不思議なんだよね。


さっきまで何ともなかったのに、もう走らなくていいんだと思ったら急に足が痛くなるんだよね。


たぶん脳が体をだましてたんだな。

 

あ~つかれた~。

 

最後に民宿の前から見た海を載せます。

 

 

 

【日本縦断RUN 番外編 ”出会ったばあちゃんの話”】

田舎の道を走っていた時のこと。

1人のばあちゃんに出会ったのだが、その時、

「おれはこの人に一生かなわないな」と思った出来事があったので書いてみた。

こんな田舎でホームレス?

ばあちゃんが前を歩いていた。 荷物をがらがら引きづりながら、身なりは汚くて、ホームレスみたいな 感じだった。

汚い身なりしてこんな田舎でホームレスか。しかもばあちゃんなのに大変だな。 そう思いながら追い越した。

追い越すと、後ろから声がした。 「がんばってね」

振り返ると、そのばあちゃんがにこにこしながらこっちを見ていた。

さっきまでおれは、この人の背中を見ながら心の中で「汚いな」とか「こんな田舎にもホームレスっているんだ」とか「けっこう年とってんのに大変だな」とか思っていた。

だから、思い切り不意をつかれた。

やさしさってなんですか?

なんでそんな”純粋な笑顔浮かべながら”、通りすがりのおれに

「がんばってね」

なんて言葉かけてくれるの?

追い越してからも、しばらくそんなことが頭の中をぐるぐる回っていた。

おれがもし逆の立場だったらどうだろう。

金がなくて、ホームレスだったら、他人の応援なんかできるのだろうか?

全てを失った状態で、自分より他人のことを思えたら、それ以上人生で学ぶことってあるの?

優しさってなんですか?

 

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